新銀行には「信濃」などの地名を冠した名称も検討されましたが、最終的に「19」と「63」の2つの数字を合わせた「82」に決定しました。今日では皆様に「はちに」の愛称で親しまれる銀行名となりました。
当時、銀行名の決定に際して数字を冠するナンバー銀行のことを調べると、1878(明治11)年に鳥取市で第八十二国立銀行が設立されていました。その後、同行は安田銀行(のち富士銀行、現みずほ銀行)に合併されたこともあり、「八十二」を使用することができたという経緯もあります。
ロゴマークに使用されている「赤」は、デザインに込められた安定・躍動・モダン・伝統といったさまざまなイメージをさらに強めるという観点から選ばれました。
「82」をデザインソースの一つとし、「親しまれる銀行、行動力あふれる先進的な銀行」がデザインされたこのマークを胸に、商品・サービス、私たちの日々の行動によって、より一層光り輝かせていきたいと思っています。
八十二銀行は創立以来、健全経営を堅持しつつ地元の発展に貢献していくことを基本方針とし実践してきましたが、1968(昭和43)年度~1970(昭和45)年度の長期経営計画の策定に際し、現在の本店が1969(昭和44)年に完成することを踏まえ、経営理念として明文化しました。
この理念には「長野県の銀行」として、長野県の発展を支えてきた金融機関であることへの矜持と、これからも長野県の未来を担っていくことへの強い責任と覚悟が込められています。地域社会における社会的責任や、地域社会の発展があって初めて八十二銀行発展の基盤があることを自覚し、地域の皆様とともに歩んでまいります。